2012.01.27
ラオスの北部ルアン•パターンで開催された「第一回ラオス障害者スポーツ大会」で基調講演を行い、その後、ラオスパラリンピック委員会委員長、ラオス障害者協会会長、大会開催に協力したNPO ADDP、八代英太元郵政大臣らと「障害者の自立と社会参加」に関するシンポジウムに参加しました。
会場は障害者スポーツ大会に使われた体育館で、講演のスクリーンはフライイングデイスクの的というものでしたが、手作り感があっていい感じでした。
「最初も大変だけど、継続していくのはもっと大変」と思います。第二回、第三回とずっとラオスでの障害者スポーツ大会が継続し、障害者の自立と社会参加が促進することを願ってます。

第1回ラオス障害者スポーツ大会

第1回ラオス障害者スポーツ大会

2012.01.16
今週の土曜日より1泊2日(+機中2泊)でラオスに行きます。1月19-22日に第1回ラオス障害者スポーツ大会が開催されることになり、その閉会式での基調講演を依頼されたためです。
10年前よりJICAがスポンサーとなり、NPO法人難民を助ける会、アジアの障害者活動を支える会、そして社)太陽の家などが協力してきたラオスの障害者自立支援プロジエクト(まず車いすの現地製造技術の指導、ようやく車いすがある程度行き渡り、次に障害者スポーツの普及)が、やっと障害者スポーツ大会を開催するところまできました。10年前のプロジェクトスタート時に、私もラオスの首都ビエンチャンの国立リハビリテーションセンターを訪問し、プロジェクトの相談をしたのは懐かしい思い出です。
太陽の家では、プロジェクトスタート時より大分タキ 上野茂会長、オムロン太陽(株)江藤社長(当時)などが、たびたびラオスに技術指導に出向き、また反対に、4年前より毎年3名ほどのラオスからの研修生を太陽の家に受け入れ、車いすの製造技術や障害者スポーツの指導法などを伝授してきました。
今から50年前、日本初の障害者スポーツ大会が大分で開催されましたが、ラオスでの1月の大会がそれにあたるのではないでしょうか。

2012.01.04
新年明けましておめでとうございます。
病院は1月30日から1月3日まで休診とさせていただきましたが、4日より通常業務に戻ります。
ほぼ日手帳も、今年は黄色にしました。今日は8時半からの全体朝礼後、今年初の外来でスタートします。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

ほぼ日手帳

2010年 ターコイズブルー、2011年 フォレストグリーン、そして2012年はイエローにピース

2011.09.29
太陽の家の本館がほぼ完成しました。来週より引っ越しを開始し、10月中旬より新しい本館で仕事を始めます。
外壁のシルバーの車いす利用者の避難用スロープがデザイン上のアクセントです。

太陽の家 本館

太陽の家 本館

太陽の家 本館

2011.09.15
14日に誕生日を迎え、51才での初ブログです。
マスコミの扱いが小さいのが残念ですが、ラグビーワールドカップ、明日はニュージーランド戦です。TOSで深夜放送されます。

「ドーハの悲劇」は知っていても「ブルームフォンテーエの悲劇」は知らない人が多いのではないでしょうか?
映画「インビクタス』(アパルトヘイト時代の南アフリカでマンデラ大統領が誕生し、第3回ラグビーワールドカップを成功させる過程を描いた映画)の題材となった1995年の第3回ラグビーワールドカップで日本はニュージーランドに145-17で敗れてしまいました。この会場名がブルームフォンテーエ(3戦とも同会場)だったので、ブルームフォンテーエの悲劇と呼ばれます。

ちょうど、この時期、私はロンドン大学に留学してましたが、英国人の同僚が、大差で敗れた日本選手のファイトを冷静に誉めていたのを思い出します。